第43回駿府寄席@コミュニティホール七間町

8/9(土)は「第43回駿府寄席 古今亭志ん好真打昇進襲名披露興行」に行ってきました。
仕事で知り合った方が主催されていて、おもしろいので前回からお手伝いです。
最初にそれらしきものに触れたのは、おじいちゃんが家でテレビで見ていた「笑点」で、もっとちゃんとしたものを聞いてみたいと思い、20歳くらいの頃に東京の浅草の演芸ホールへ行ったのが最初でした。
それ以来東京へ行ったときはちょくちょく寄席へ行ったりしていました(末廣亭、鈴本演芸場、池袋演芸場、浅草演芸ホール)。
一番多いのは、便利な場所にある末廣亭ですね。
寄席のギュッと詰まった感じが好きです。
静岡では常設の寄席はないので、文化会館のホールなどで見るか、寿司屋や料亭が主催するものが多いですね。
コミュニティホール七間町では230人くらいの入りでしょうか。
元映画館ですが、座席を取ってしまって平面になっていて、公演のときには主催者が椅子を並べます。
ちょっとした舞台はあるので、その上に高さを作り赤い毛せんをひき座布団を置いて高座を作ります。
高さがあるので、客席が平面でも見やすいですね。
というわけで今回の「古今亭志ん好真打昇進襲名披露興行」。
真打襲名披露興行というのは初めて見ました。
落語家さんは、まず師匠を決めて入門が許されると見習いになります。ここではかばん持ちから着物の畳み方から、噺などを習います。
その次に「前座」があり、「二つ目」があり、最後にようやく「真打」になれます。
前座から二つ目がおよそ3~5年、二つ目から真打までがおよそ10年くらいと言われていますが、それぞれの期間は人によりけりです。もちろん真打までならずに辞めていく人や破門になる人などもいます。
真打になると師匠と呼ばれ、弟子を持つこともできます。
古今亭志ん好(ここんてい しんこう)(5代目)さんは1977年、藤枝出身で、1999年に古今亭志ん五さんに入門して(古今亭いち五)、2003年に二つ目に昇進(古今亭志ん公)。2010年に志ん五さんが亡くなり、古今亭志ん橋さん門下に移籍しました。真打になる前に師匠が亡くなると、別の師匠の下に付くのが習わしです。
そして2014年3月に真打昇進!
ちなみに前座、二つ目、真打で名前が変わるのも習わしです。歌舞伎などでもそうですよね。というか昔の人は元服して成人になったりするとちょくちょく名前が変わりましたね。一生ひとつの名前になったのは戸籍制度が確立した近代になってからのことです。
当日の演目
牛ほめ 古今亭志ん八
鰻の幇間 古今亭志ん橋
(中入り)
(口上)
宿屋の富 古今亭志ん好
「鰻の幇間」は前に聞いたことがあり、オチは知ってるのですが、やはり演者によって微妙に違うし今でも通じるおもしろい話です。幇間はタイコと読み、いまではご機嫌伺いみたいなあまりいい意味で使われませんが、宴会の盛り上げ役みないな職業が昔はあったそうです。人間関係の機知に富み即興性が必要なので頭のいい人じゃないと出来ないのではないかと思いますが、落語ではだいたい間抜けな役どころです。
「宿屋の富」は初めて聞いたのですが、富くじをテーマにした滑稽噺で最初の似非金持ちのくだりがおもしろくてぐいぐい引き込まれました。
口上は初めて聞いたのですが、師匠の推薦の言葉があって、本人からもこれからよろしくお願いしますというような言葉がありました。
真打と言ってもそこからが始まりなのですよね。
最後は5本締めで締め。盛り上がります!
というわけで台風11号が近づくなか、心配していましたが無事終了。
ありがとうございました。
駿府寄席
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駿府寄席実行委員会 (sunpuyose
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by ma2i | 2014-08-11 21:40 | 落語

